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かっぱがれ編集・秋のへっぽこギャンブル日記

基本はギャンブル日記だけど、まあ趣くままにてきとーに。

小島武夫『11PM』初出演の謎~小島武夫さん逝去に寄せて~

ちょっとタイトルは大げさな感じですが^^;

今でこそ、BS・CS局で放送が乱立し、ネットメディアでも手軽に楽しめるようになった麻雀の対局番組。

じゃあ、これのルーツってなにかと言えば?
昭和30年代生まれ以前の方なら当然ご存知ですよね。
世界初のテレビ麻雀番組といえば、昭和40年代、深夜の人気番組『11PM』で放送されていた「マージャンコーナー」(注1)になります。

先日亡くなられた小島武夫さんは、その『11PM』の出演をきっかけにして麻雀界のスターとなったわけですが、…では、その初出演はいつ、どんな内容だったんでしょうか?

実は編集部時代、その頃のお話を読み切り漫画で掲載するため、小島武夫さんに取材をしたことがありました。

* * * * * * * *

取材の場所は、小島さんが当時ゲストをしていた雀荘があった渋谷。
ざっくばらんにお話が聞けるように居酒屋をチョイスw

「最近はさぁ、これがいいのよ」

小島さんは、焼酎のお湯割り(ウイスキーの水割りだった気も)をチビリと飲みながら、その頃のお話を振り返ってくれました。

小島「『11PM』はねぇ、もともと大橋巨泉さん(『11PM』の司会。「マージャンコーナー」も巨泉さんのアイデア)に呼ばれたわけじゃなかったのよ。『11PM』の中で、パチンコの釘師やマッサージ師が登場するような、手に技を持つ職人がテーマの回があってね。それで、『麻雀のイカサマができる人はいないか?』って、ボクに連絡がきたわけさ…」

小島さんは博多での雀荘メンバー時代、イカサマを駆使するバイニンたちを相手にするため、様々なイカサマ技に精通しており、周囲からもその腕は知られていました。

小島「だからね、『小島が適任だろう』って言われてさ。いろんな業界の職人さんたちが紹介される中、ボクもイカサマ技を披露したわけ。その時は巨泉さんが司会じゃなかったんだけど、そしたら、番組を見ていた巨泉さんから『俺のマージャンコーナーにも出てくれよ』って話がきたのよ」

この頃の自分はまったく無知で、小島先生は阿佐田哲也さんに見出されてメディアに出るようになったと勘違いしていました。

小島「ガハハ。阿佐田先生は、『11PM』に出演しているボクを見て、初めて知ったのよ。ボクが働く雀荘へ遊びにきた時に声をかけてくれてさ」

ちなみに、阿佐田哲也さんが小島武夫さんや古川凱章さんとともに「麻雀新選組」を結成したのは昭和45年。小島武夫さんが『11PM』で活躍しはじめたのは昭和43年頃からです。我ながら、何を勘違いしてたんだか…><

他にも、興味深いお話をたくさんしてもらったのですが…この頃のお話は、小島さんの自伝『ろくでなし』にも多く書かれているので、興味のある方はそちらをご購入くださいw

* * * * * * * *

さて、この取材の後。

自分は漫画の資料集めのため、古本屋を何軒も回り、『11PM』の関連本探しました。
(当時からネットはありましたが、今みたいに検索してすぐ映像が…なんて時代でもなかった)

すると…素晴らしいムックを見つけたんですよね。
『11PM~深夜の娯楽史~』

この本、マジで素晴らしい資料本でした。

『11PM』の放送開始から、昭和59年までの全放映回リストつきで、当時の出演者・スタッフのインタビューや対談のほか、放映当時の写真もふんだんに盛り込まれていて、「深夜の娯楽史」の名に恥じない、テレビ文化の歴史が辿れる一級品のムック本です(今だとプレミアがついているらしい)。

で、漫画には掲載できませんでしたが、小島さんのインタビューを聞いて興味があったので、小島さんの『11PM』初出演がいつだったのか調べてみました。

「巨泉さんが司会ではなかった」というのがカギでして、日本テレビ制作の『11PM』で大橋巨泉さんが金曜以外の司会を担当したのは昭和43年1月以降。『11PM』で「マージャンコーナー」が始まったのは昭和41年5月。(注2)

つまり、昭和41年5月から昭和43年1月までの放映リストを探せばいい。
目を皿のようにしてジーッ……これかな?

赤囲み部分ね。

≪手は口ほどに……≫
日付は昭和42年12月18日。

『11PM』で「マージャンコーナー」があったのは金曜日でしたが、この放送回は月曜日です。小島さんのお話から判断して、おそらくこの回で間違いないんじゃないでしょうか。

ちなみに、大橋巨泉さんが月・水・金の『11PM』司会を担当(注3)するようになった後の放送リストを見ると、金曜以外でも麻雀をテーマにした回が放送されています。番組内容に関して巨泉さんへの依存度が強まったことで、『11PM』で麻雀が取り上げられる回数も増えたのかもしれません。

つくづく、大橋巨泉さんという方は麻雀界にとって最大の功労者だったと思います。
その巨泉さんが伝えたかった麻雀の面白さを世間に表現できた最高の演者が、小島武夫さんだったということなのでしょう。

* * * * * * * *

ただ、身もふたもない言い方を言ってしまうと。
当時、映像メディア側の人間が麻雀業界に対して興味を持ったトピックは、「イカサマ」だったということになります。

実際、小島さんは『11PM』出演以降、「イカサマ技」を披露する機会が何度もあったようです。取材の際、グラスをカランと傾けながら、小島さんは当時のことをこうつぶやきました。

「忙しかったけどさぁ…ホントはさ、嫌だったんだよな。イカサマ技とか、やるの」

先ほども記したとおり、小島さんは普段の対局で「イカサマ」などしていません。
するわけがない。

当時からすでに競技麻雀の団体に籍を置き、「東京牌王位」というタイトルも獲得していた小島さんからすれば、テレビでの取り上げられ方に本意ではなかった部分も多いと思います。

その後、小島さんは「魅せる麻雀」を看板に、数多くの誌上対局やタイトル戦でファンを魅了し、現在に至る麻雀ブームの土台を作り上げてきました。

もしかしたら、『11PM』に初出演したときに感じた複雑な思いが、その後の対局姿勢に影響していたのかもしれません。

常に麻雀の高みを目指すとともに、メディアを意識し、エンターテイメントを追求する――。

そんな小島さんの麻雀に対する真摯な想いーー「美学」をファンが支持したからこそ、今のように麻雀界は発展していったのです。

今後活躍する後進の麻雀プロの皆さんには、小島先生の想いを受け継ぎ、麻雀ファンの期待を裏切らぬような「プロ」の生き様を見せていって欲しいと思います。

* * * * * * * *

今日は小島先生のお通夜。
だから、なんとしても今日中に書いておきたかった。

ボクも今日、お別れを伝えに行ってきます。




注1
『11PM』での麻雀コーナー名は、「イレブン麻雀」や「巨泉の麻雀実戦教室」など聞きますが、資料のムック本では「マージャンコーナー」としか明記されていません。念のため、ここでは「マージャンコーナー」に表記を統一しておきます。

注2
『11PM』は月曜・水曜・金曜が日本テレビ、火曜・木曜がよみうりテレビ制作。昭和41年5月から昭和43年1月まで、司会は月曜・水曜を小島正雄さん、火曜・木曜を藤本義一さん、金曜を大橋巨泉さんが担当していました。

注3
昭和43年1月に月曜・水曜の司会を担当していた小島正雄さんが急死。一時的に日本テレビ制作の『11PM』司会はすべて、巨泉さんが担当することになりました。


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プロフィール

編集・秋

Author:編集・秋
年齢:昭和44年生まれの53歳。
   ゴミのような人生。
   五味龍太郎のような人生
   ではない。
職業:「近代麻雀」等、元(涙)編集
趣味:ギャンブル(競馬・麻雀等)
   プロレス・F1観戦、お城の
   旅行、坂道グループ鑑賞
   ほかいろいろ
貯金:マイナス100万
   (助けて…)
ギャンブルの負け金:約1800万(減らんなぁ…)
座右の銘:ワルツにはワルツを、ジルバにはジルバを
(byニック・ボックウインクル)

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