今の背中はこんな感じ。
ガーゼに厚みがあるのは、いわゆる生理用ナプキンみたいになってる奴だからです。
つまり、それだけまだ血が出ているというw
さて、入院中、時間は当然持て余していて、持ち込んだPCでネット巡回もしているので、当然
アレな件は耳に入ってるワケでw
ただ、自分からは直接そのことには触れないでおきます。当事者でもないですしね。
あ、言論弾圧で黙ってるわけじゃないですからw
まあ、自分の大体のスタンスはUST放送を見てる人ならわかると思います。
そんな中で話はズレますが、同じ福地ハカセのブログの中に、「狙い撃ち」の話題がありました。
麻雀マンガにもよく出てくる、この「狙い撃ち」。
自分もかつては、「かっぱがれ」や「20年間無勝の男」の中で「狙い撃ち」の標的となった、いわばキツネ狩りのキツネw
そんな狙われた立場としてコンコン言わせてもらえれば、
むしろ狙われた方が不利どころか有利になることが多いです。
そういえば「コンビ打ちは実践向きではない」という話は、「朽葉流れて」で白川道さんも書いてますね。
印象深いのは、かつて「かっぱがれ」の対局で、原作者の
南波捲さんと
馬場裕一さんこと
バビィ(だから逆だよw)をゲストに迎えた時。
二人の麻雀の技量はもちろん自分なんかよりも当然上。
しかし、この企画は自分をラスにすることが目的なわけなんで、南波捲さんは雀鬼流っぽい用語を使って宣言します。
南波「秋をラスにするためなら、俺、3着決めもするよ。ほら、それが『仕事』だから」
…って、この人、昔からそんなこと言ってたような気がするけどw
しかし、対局が始まると、意外な展開に。
馬場さんや南波さんは、自分を狙い打つために、他家から見逃ししたりするんですが、そのためにもともとテンパっていたボクがすいすいアガってしまうのです。
「南波くん、いいよアガって、場が歪んじゃうから!」
「馬場くんも自分に差し込もうとしなくていいよ!…あっ、それ、秋の当たり牌だし!」
こんな感じで二人は同士討ちを始めて、自分は企画の意図もわきまえず大勝してしまったという。
(当たり前だよ、雑誌の企画なのに経費も出なくて、
自腹なんだからw)
ゴールドの企画でもそうでしたが、このように「秋をラスにしちゃる」と意気込んでいた人のほうが、ぶっちゃけ自分は凌ぎやすかったですね。
逆に意識せずに、普通に麻雀をする方は苦手だったり。
姫路での最強戦予選の際、一般読者とかっぱがれ対局をしたのですが、一度もアガれずメロメロにされたのは、今でも自分としては情けないなぁ、とw
まあ、「場が歪む」という言い方がありますが、結局、不自然な見逃しは、狙われてる方のアガリ番も増えるわけで。
「狙い撃ち」でターゲットを不利にしようと思っても、せいぜい、
・二人リーチが入ったら、ターゲットじゃない方の危険牌を切る
・ターゲットの親はサクッと流す
・ターゲットの点数が沈んだら、場の進行を早める
…くらいじゃないかと思います。
さて、では公式戦で「狙い撃ち」が是か否かという話。
対局が観戦されることが前提ならば、個人的には「是」なんですよね。
観戦者には、対局者がどういう麻雀を打つのか情報がないと、あらぬ誤解が生じてしまいます。
いっぱい生じてますよね、今w
特に、テレビやニコ生など、麻雀対局の実況中継が増えた今、その辺の打ち手の情報をどうやって見せるかが問われているわけで。
その辺を補完するのが、弊社のような「マスコミ」だったり、対局の実況につく「解説者」だったりするのですが、映像で中継するなら、「自分はこうやって打ちます」って本人にアピールしてもらったほうが、一番わかりやすかったりしますよね。
そのアピールに、
「はい!ボクは○○さんが師匠なんで、あの人が有利になる麻雀を打ちます!(・∀・)」
「ボクは○○さんが苦手なんで、叩き落とす麻雀をしますよ、フフ…( ̄ー ̄)」
…というのがあってもいいと思うんですよ。
プロレス的というか。
「闘牌の中身がつまらなくなる」なんて言う人も出てきそうだけど、細かい闘牌まではわからないファンは、得てしてそういった「感情を発露させた麻雀」も見たいと思ってるんじゃないでしょうか。
もし今後デジタルな打ち手が増えてくるんだったら、闘牌も運否天賦に偏って単調になってくるんだから、打ち手の感情や利己主義を爆発させた対局の方が、これからは盛り上がるじゃないですか?
すげえ偏見w
むちゃくちゃ書きましたが、まあ、ひとつの見解として受け取ってもらえれば( ^ω^)
あくまで個人的な意見ですよ!
さて、競馬に戻るかw
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