テッド・タナベさんとは、ホントに1回だけ、飲み会で同席した思い出があります。
まだボクが大学生で、週刊プロレスの常連投稿会「プレッシャー」の会員だった頃。
確か、91年か92年の年末だったと記憶しているんですが…。
当時、プレッシャー会員の方が名古屋で結婚式を挙げるということで、その2次会と一緒にプレッシャー名古屋地区の忘年会も開催されるということになり、
「じゃあ関東に居る会員も殴りこみをかけようじゃないか!」
…ということになりました。変わってないでしょ、俺w
その際に忘年会の会場に来たゲストが…当時、新日かWARかの抗争で名を上げていた誠心会館の青柳会長と、まだ名古屋を拠点にしていたテッド・タナベさんだったんです。
ユニバーサルプロレスのレフェリーだったか、みちのくプロレスを創立したばかりの頃だったでしょうか…?
青柳館長は足をケガしていて、「対抗戦、足が折れても出場します!」と息巻いておりましたが…自分は熱烈なWARファンだったもので、あまり感情移入ができなかったというw
そんな中、単なるファンとの集まりにも関わらず、やかましいくらいハイテンションで愉快な話を連発し、場の雰囲気を和ましていたのが、ゲストのはずのテッドさん。
ボクは当時、北尾光司に顔が似ているということで、会では「キタオ」と呼ばれていたんですが、その会話を横で聞いていたらしく、
テッド「お前、キタオっていうの? 似てるね! …キタオ、呑んでるか、キタオ!?」
と、まったく初対面のボクにまで、場が盛り上がっていないと見るや、わざわざ「声」をかけてきてくれたのです。
正直、当時テッド・タナベさんというレフェリーの存在をあまり知らなかったのですが、この一件でファンになりました。
その後も、ボクはちょくちょく旅行がてら、みちのくプロレスを東北まで観に行ったりしていますが、今にして思えば、みちのくプロレスに興味を持ったのは、テッドさんの存在も、きっかけのひとつだったのかもしれません。
テッドさんといえば、人生vsヨネ原人に代表されるような、あのポチャっとした風体にも関わらず、所狭しと駆け回る、スピード感たっぷりでコミカルなレフェリング。
場外乱闘で、必ず最後はヨネがリングアウト負けになるとわかっていながら、会場中を暴れまわる人生とヨネに対して、ほとんどあきらめたような感じで、
「カウントォ!ワン、ツー、…お~い!?戻ってこいよ~っ!!」
っていう、絶妙な間で会場に響きわたる、甲高いテッドさんの「声」が、ホント最高でした。
…まさか…その人生の20カウントを、こんなにも早くテッドさんが聞くなんて…。
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三沢さんに続き、また一人、偉大なる90年代プロレスブームの功労者を亡くしました。
19日、みちのくプロレスが後楽園ホールでありますが、そこで黙祷を捧げてきたいと思います。
ご冥福をお祈りします。