それにしても…。
G1だというのに、なんとも新鮮味のないメンバーというか。
まあ、もちろん予想はしますけどね。
ここは…
内藤哲也の連覇じゃないですかね?
大阪ドミニオンの敗戦は、内藤を丸腰にして来年の1.4ドームでIWGPを獲らせる腹づもりとみましたよ。じゃあその内藤と決勝を争うのにふさわしい相手ですが、舞台が武道館3連戦の最後ということで、魅力的なカードが用意されていることは間違いなし。ということは、ズバリ勝ち残るのは…オカダしかいない! G1クライマックスの決勝という最高のシチュエーションで、内藤がオカダ越えを果たすんですよぉぉぉぉっ!!…ぜいぜい。
あれ? この間、参戦メンバーが決まった、
新日のG1クライマックスの決勝予想の話じゃありませんでしたっけ?(しらじらしいにもほどがある)
いやあ、こんな話でお茶を濁したくなるほど、今回の宝塚記念はテンションが上がらない出走メンバーなんですよねぇ。
それこそG1クライマックスで例えたら、永田、天山、中西といった旧世代に、後藤、石井、SANADAら準メイン扱いの選手が集まったリーグ戦という感じw
とりあえず、相変わらずの知ったか100%で考察していくと。
宝塚記念が争われる「リング」というべき阪神コースですが、毎年、今くらいだと梅雨の影響をモロに受けた力の要る馬場になっていて、昨年の
サトノクラウンのようなパワーファイター(?)が勝ったりするんですよね。
だがしかし。どうも、今年の阪神競馬場は、今宵の斬鉄剣なみにひと味違う。
なにが違うって、
オープン4戦惨敗(うち3戦2ケタ着順)+障害レース2戦未勝利だったベステンダンクが、突然先週の米子Sで阪神1600mのタイレコードを走っちゃうくらいの魔空空間w皐月賞のときにも書きましたが、
やはり今の阪神コースは超超超超・チョ~高速馬場。ならば、今年は今までの傾向は無視して、阪神2200mは不向きといわれるディープ産駒から狙ってもいいのかもしれませんよ。
■宝塚記念《GI》予想■
◎ゼーヴィント ○ヴィブロス ☆ストロングタイタン
▲サトノダイヤモンド △ステファノス △ダンビュライト
△パフォーマプロミス △ミッキーロケットということで、宝塚記念は、超大穴・
ゼーヴィントから勝負。
G2も勝ったことがないから、プロレスに例えたら…YOSHI-HASHI級? いやいやw
もともとラジオNIKKEI賞勝ったときから強い馬だとは思っていたんですが、前回の目黒記念(6着)、直線で不利が二度あった上での末脚(上がりタイム1位)を見て、改めてそう感じました。
騎乗も池添に代わるということでかなり積極的にいってくれそうだし、人気もないならここは狙い目なんじゃないの!?(゚∀゚)
対抗は人気でも追い切りで調子が良さそうな
ヴィブロス(ドバイを勝った牝馬だから、さしずめ、WWEで活躍してるASUKA?w)。
鳴尾記念レコード勝ちの
ストロングタイタンを☆に。
前走がメイチの仕上げなような気がするんだけど、まともで今回のメンバーなら勝ち負けでしょ。
◎から印への馬連、◎○☆の3連単ボックスと▲△への3連複ながしで!
3連単とって、府中で金の雨を降らすぞーっ!…あ、当日まで雨がガンガン降って馬場が悪化した場合は、たぶんステイゴールド産駒の
パフォーマプロミスに本命を変えると思います(おいおい)。
なお、当方の予想を参考にしてハズれても、責任は一切取りませーん!
スポンサーサイト
ちょっとタイトルは大げさな感じですが^^;
今でこそ、BS・CS局で放送が乱立し、ネットメディアでも手軽に楽しめるようになった麻雀の対局番組。
じゃあ、これのルーツってなにかと言えば?
昭和30年代生まれ以前の方なら当然ご存知ですよね。
世界初のテレビ麻雀番組といえば、昭和40年代、深夜の人気番組『11PM』で放送されていた「マージャンコーナー」(注1)になります。
先日亡くなられた小島武夫さんは、その『11PM』の出演をきっかけにして麻雀界のスターとなったわけですが、…では、その初出演はいつ、どんな内容だったんでしょうか?
実は編集部時代、その頃のお話を読み切り漫画で掲載するため、小島武夫さんに取材をしたことがありました。
* * * * * * * *
取材の場所は、小島さんが当時ゲストをしていた雀荘があった渋谷。
ざっくばらんにお話が聞けるように居酒屋をチョイスw
「最近はさぁ、これがいいのよ」小島さんは、焼酎のお湯割り(ウイスキーの水割りだった気も)をチビリと飲みながら、その頃のお話を振り返ってくれました。
小島「『11PM』はねぇ、もともと大橋巨泉さん(『11PM』の司会。「マージャンコーナー」も巨泉さんのアイデア)に呼ばれたわけじゃなかったのよ。『11PM』の中で、パチンコの釘師やマッサージ師が登場するような、手に技を持つ職人がテーマの回があってね。それで、『麻雀のイカサマができる人はいないか?』って、ボクに連絡がきたわけさ…」小島さんは博多での雀荘メンバー時代、イカサマを駆使するバイニンたちを相手にするため、様々なイカサマ技に精通しており、周囲からもその腕は知られていました。
小島「だからね、『小島が適任だろう』って言われてさ。いろんな業界の職人さんたちが紹介される中、ボクもイカサマ技を披露したわけ。その時は巨泉さんが司会じゃなかったんだけど、そしたら、番組を見ていた巨泉さんから『俺のマージャンコーナーにも出てくれよ』って話がきたのよ」この頃の自分はまったく無知で、小島先生は阿佐田哲也さんに見出されてメディアに出るようになったと勘違いしていました。
小島「ガハハ。阿佐田先生は、『11PM』に出演しているボクを見て、初めて知ったのよ。ボクが働く雀荘へ遊びにきた時に声をかけてくれてさ」ちなみに、阿佐田哲也さんが小島武夫さんや古川凱章さんとともに「麻雀新選組」を結成したのは昭和45年。小島武夫さんが『11PM』で活躍しはじめたのは昭和43年頃からです。我ながら、何を勘違いしてたんだか…><
他にも、興味深いお話をたくさんしてもらったのですが…この頃のお話は、小島さんの自伝『ろくでなし』にも多く書かれているので、興味のある方はそちらをご購入くださいw
* * * * * * * *
さて、この取材の後。
自分は漫画の資料集めのため、古本屋を何軒も回り、『11PM』の関連本探しました。
(当時からネットはありましたが、今みたいに検索してすぐ映像が…なんて時代でもなかった)
すると…素晴らしいムックを見つけたんですよね。
『11PM~深夜の娯楽史~』。

『11PM』の放送開始から、昭和59年までの全放映回リストつきで、当時の出演者・スタッフのインタビューや対談のほか、放映当時の写真もふんだんに盛り込まれていて、「深夜の娯楽史」の名に恥じない、テレビ文化の歴史が辿れる一級品のムック本です(今だとプレミアがついているらしい)。
で、漫画には掲載できませんでしたが、小島さんのインタビューを聞いて興味があったので、小島さんの『11PM』初出演がいつだったのか調べてみました。
「巨泉さんが司会ではなかった」というのがカギでして、日本テレビ制作の『11PM』で大橋巨泉さんが金曜以外の司会を担当したのは昭和43年1月以降。『11PM』で「マージャンコーナー」が始まったのは昭和41年5月。(注2)
つまり、昭和41年5月から昭和43年1月までの放映リストを探せばいい。
目を皿のようにしてジーッ……これかな?

≪手は口ほどに……≫
日付は昭和42年12月18日。
『11PM』で「マージャンコーナー」があったのは金曜日でしたが、この放送回は月曜日です。小島さんのお話から判断して、おそらくこの回で間違いないんじゃないでしょうか。
ちなみに、大橋巨泉さんが月・水・金の『11PM』司会を担当(注3)するようになった後の放送リストを見ると、金曜以外でも麻雀をテーマにした回が放送されています。番組内容に関して巨泉さんへの依存度が強まったことで、『11PM』で麻雀が取り上げられる回数も増えたのかもしれません。
つくづく、大橋巨泉さんという方は麻雀界にとって最大の功労者だったと思います。
その巨泉さんが伝えたかった麻雀の面白さを世間に表現できた最高の演者が、小島武夫さんだったということなのでしょう。
* * * * * * * *
ただ、身もふたもない言い方を言ってしまうと。
当時、映像メディア側の人間が麻雀業界に対して興味を持ったトピックは、「イカサマ」だったということになります。
実際、小島さんは『11PM』出演以降、「イカサマ技」を披露する機会が何度もあったようです。取材の際、グラスをカランと傾けながら、小島さんは当時のことをこうつぶやきました。
「忙しかったけどさぁ…ホントはさ、嫌だったんだよな。イカサマ技とか、やるの」先ほども記したとおり、小島さんは普段の対局で「イカサマ」などしていません。
するわけがない。
当時からすでに競技麻雀の団体に籍を置き、「東京牌王位」というタイトルも獲得していた小島さんからすれば、テレビでの取り上げられ方に本意ではなかった部分も多いと思います。
その後、小島さんは「魅せる麻雀」を看板に、数多くの誌上対局やタイトル戦でファンを魅了し、現在に至る麻雀ブームの土台を作り上げてきました。
もしかしたら、『11PM』に初出演したときに感じた複雑な思いが、その後の対局姿勢に影響していたのかもしれません。
常に麻雀の高みを目指すとともに、メディアを意識し、エンターテイメントを追求する――。そんな小島さんの麻雀に対する真摯な想いーー「美学」をファンが支持したからこそ、今のように麻雀界は発展していったのです。
今後活躍する後進の麻雀プロの皆さんには、小島先生の想いを受け継ぎ、麻雀ファンの期待を裏切らぬような「プロ」の生き様を見せていって欲しいと思います。
* * * * * * * *
今日は小島先生のお通夜。
だから、なんとしても今日中に書いておきたかった。
ボクも今日、お別れを伝えに行ってきます。
注1
『11PM』での麻雀コーナー名は、「イレブン麻雀」や「巨泉の麻雀実戦教室」など聞きますが、資料のムック本では「マージャンコーナー」としか明記されていません。念のため、ここでは「マージャンコーナー」に表記を統一しておきます。
注2
『11PM』は月曜・水曜・金曜が日本テレビ、火曜・木曜がよみうりテレビ制作。昭和41年5月から昭和43年1月まで、司会は月曜・水曜を小島正雄さん、火曜・木曜を藤本義一さん、金曜を大橋巨泉さんが担当していました。
注3
昭和43年1月に月曜・水曜の司会を担当していた小島正雄さんが急死。一時的に日本テレビ制作の『11PM』司会はすべて、巨泉さんが担当することになりました。
お歳も召されていましたし、最近体調が芳しくないお話も聞いていました。
それでも、やっぱり。この時を迎えてしまうのは、非常に悲しくて、つらい。
小島先生のことで、思い出す事をつらつら書いていこうと思うのですが…。
* * * * * * * *
自分が「近代麻雀」の編集部にバイトで潜り込んだのは1994年のこと。
当時の自分は、「とにかくコミック誌の編集になれるなら何でもいい!」という感じで入社したので、麻雀はそれなりに好きでしたが、業界知識は皆無。麻雀プロの存在自体も知りませんでした。
編集部で働き始めてすぐ、自分が小学生時代に通っていた剣友会(剣道のサークル)の、高倉健と川谷拓三を足して2で割ったような感じなO先生と、道でバッタリ遭遇しました。
O先生「秋くん、今どこで働いてるの?」
自分「コミック誌の『別冊近代麻雀』って編集部で働いてまして…」
O先生「え…、ホントーっ!? いいなぁ! じゃあ、小島武夫プロと一緒に仕事したりするんだ!うらやましいなぁ~、俺ファンなんだよぉぉぉっ!」
顔がみるみる真っ赤になって、興奮しながら話す拓ボン…じゃなかった、O先生。しかし、自分は小島先生の名前を出されても、あまりピンときていませんでした。
そんな出来事があった1,2週間後でしょうか。
第6回最強戦のプロ新人王戦(プロ大会だったかな?)が有楽町の錦江荘で開催され、自分ももちろんスタッフとして働いていました。
4回戦の予選が終わり、ついに決勝。
この大会に優勝すれば、当時ホテルグランドパレスで開催されていた最強戦本大会に参加ができる――そんな決勝進出メンバーの息詰まる闘牌を、ギャラリーも固唾を飲んで見つめておりました。
すると突然、少ししゃがれた博多弁のおじさんの声が。
「おーい、ビール」
あらーっ? ずっこけるギャラリー。
声の方向を見てみると、すでに注文したビールジョッキを片手に、ご機嫌そうに対局を見守る小島先生の姿がw
「まあ、先生なら仕方ないか」
今はこんなことする見学者もおりませんが、当時の小島先生にはそんな行動もみんなで許容できる愛嬌がありました。
無頼で豪放磊落で陽気なキャラクター。魅せる麻雀でギャラリーを魅了――。
麻雀業界における小島先生の大きな存在感を、無知だった自分もほどなく気づくことになります。
* * * * * * * *

▲撮影中の小島先生。
勝手に思ってるだけかもしれませんが、小島先生に自分は目をかけられていた気がします。
最強戦の会場などで、本当は自分から挨拶へ行かなきゃいけない時にも、逆に小島先生から「秋くん、秋くん」とニコニコ近づいてきてくれたり…。
編集部から異動してしばらく経った後、ある麻雀大会の会場で小島先生とお会いしました。
小島「おお、秋くん。やせたなぁ。どうした?」
自分「いやぁ、このままだと成人病一直線なんで、ちょっとダイエットを」
小島「ああ、ダイエットかぁ、えらいなぁ(ニッコリ)。もう、秋くんくらいの年齢なら気をつけんとなぁ」
小島先生自身、糖尿病だったこともあるからか、いきなり痩せて現れた自分を見て、どうやら心配してくれたようなのです。
麻雀業界とは直接なんの関係もなくなり、なんとなく会場では(自分で勝手に)疎外感を感じていたりしたのですが、この時の小島先生からの一言で、気分がずいぶん楽になった記憶があります。
* * * * * * * *
対局も何回かさせてもらったこともあります。
印象のある対局もたくさんあります。
でも、あえて麻雀界自体の偉業に関してはここでは触れません。
それよりも、自分にとって小島武夫さんは、本当に「おじいちゃん」みたいな存在でした。
いつも笑顔で、お酒が好きで、酔って若い頃の武勇伝を軽妙にお話されている姿がとってもチャーミングで――。
自分よりも年下の人間だと、「麻雀界のスーパースター」という事実よりも、そんな身近な「好々爺」としてのイメージが大きかったんじゃないかなぁ、と思うのです。
今回、小島さんが亡くなって、麻雀プロの皆さんの追悼ブログを読むと、その内容の多くが「相談に乗ってもらった」とか、「一緒にお酒を飲んだ」というものばかりでした。小島さんの人情家で世話焼きの人柄を示すエピソードと言えると思います。
ある時期から、小島武夫プロは、麻雀界全体を優しく見守るおじいちゃんになっていたのでしょう。
だからこそ――「ミスター麻雀」なんだろうな、と。
* * * * * * * *
これから小島先生は、雀荘や居酒屋ではなく、天国から麻雀界を見守ることになりました。
きっと今ごろ、自分が錦江荘で初めてお見かけしたあの時のように、片手にビールジョッキを持ちながら、陽気に下界を眺めているのでしょう(もしかしたら、もう天国で愛人も作っていたりしてw)。
今までありがとうございました。
小島武夫さんのご冥福をお祈りいたします。
* * * * * * * *
実は以前、小島先生が「11PM」に初出演された際の読み切り漫画を担当した際、馬場さんと一緒に渋谷で取材させてもらったことがあります。いきさつが面白かったので、稿を改めて、またそのお話を書こうと思います。